重たい思い込みや人生の設定を乗り越え、「世界は、思ったより優しい!」と思える自分へ 無料メールマガジンはこちら

暗闇から光を探して「世界は、思ったより優しい!」と泣きながら笑えるようになった日までの実話。

精言家(せいごんか)精神と言葉のコーチ

【このページを読む前に大切なお願い】

このページには、当時の苦しかった出来事を
感情と共に臨場感高く書いているところがあります。

容姿や学業・仕事には自信がないから、
心だけは清らかでいなければならない。

「清廉潔白で正しく生きなければならない」
「人生=修行だ」

そのようなhave to(~しなければならない)という考え。

「これはこうだ」「こうあるべきだ」
「こうでなければならない」
「こうしなければならない」

といった偏った思い込みや思考の癖で、
苦しい人生の設定を無意識に自分自身へ勝手に課していました。

人生がうまくいかないのは、誰が悪いというわけではなく、
「すべて自分のせいだ。」と考えることでしか
生きられなくなっていた。

課題の分離(物事には、自分の課題と相手の課題がそれぞれある)
という考えがあることを知らず、

人を悪く思う生き方はできないと感じて、
「どんな場面も自分が悪い」と強く思う癖がついていた。

その結果、成功者や幸せそうに生きている人への
嫉妬やプライドに左右されすぎて、

あんなこと、しなければよかった。
あんなこと、言わなければよかった。

と過去を思い出しては、

「自分は曲がった性格だった」と自己嫌悪に陥ったり。

親や周りの人の期待、僕を想って与えてくれた
無償の愛に応えられない自分を責めたりしていました。

何も考えずに気楽に幸せになれたら、
何の失敗も後悔もせず、愛して愛されたら、

どれだけ楽しい人生だっただろうか?

そんな自己否定、完璧主義、生きることへの罪悪感、恥、
「自分には価値がない」という無価値観、
重たいセルフイメージ(自分はこういう人だというイメージ)

これらを乗り越えてきた軌跡を載せています。

「無理に完璧な自分で生きようとしなくていい」
「あなたは幸せになっていい」

自分の意志で人生を選択し、
自分の思う面白いことをして、楽しく生きる。

そのエッセンスを実話で伝えたくて書きました。

読み返してみると、「自分の弱さや強さを誰かに理解してほしい」
「嫌われたくない」「許されたい」
という気持ちで
必死に生きていたことがわかります。

20年の自己否定の歴史、学生時代に国語の偏差値が40近くだったこと、
過去の苦い失敗や後悔。

それらを考えれば、文章を書いて人に見せることも
いつの間にか怖くなっていました。

そんな僕の姿が宿った文章です。

「こんなに自分は変わったんだ!」と
書いた文字数を見て、嬉しくなっていたことも
今では愛おしく感じます。

「一言一句逃さない。逃してはダメ。」と
頑張って全文を読む必要はありません。

それよりも、なんとなくでいいので、
感じ取れるものを感じ取ってみてください。

ピンときた言葉や感覚、湧いたイメージが、
これからあなたが変わる「きっかけ」になりましたら幸いです。

※このページの内容は、あくまで
僕個人の実体験に基づいたものです。

医療行為や治療を目的としたものではありません。

体調が優れない場合や
読んでいて、しんどさを感じた場合、

それ以上無理をして読み進めないでください。

あなたの「心身の安心・安全」を守ることが最優先です。

一人で抱え込まず、信頼できる人や
公的な相談窓口、医療関係の専門機関などを
頼ることを検討してみてくださいね。

──────────────────────

それでは、準備ができましたら、
ここから本文を読んでみてください。

ちなみに、本文中では、
「イメージ」と「想像」という言葉が登場します。

どちらも近い意味ですが、

「イメージ」:五感(浮かんだ風景や音、体の感覚など)、
頭の中で描いた具体的な役割や設計図、形に重きを置いたもの

「想像」:イメージの要素も含めた上で、さらに意志を強く反映させたもの

と定義しています。

といっても、深く考えすぎる必要はありません。

厳密な使い分けは気にせず、
心に響いた言葉をそのまま受け取ってみてください。

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こんにちは、吉松です。

このページでは、僕の過去について
嘘偽りなく、等身大で書いています。

本名を出すことも、過去や未来を見ることも怖かった僕が、

なぜ、2万文字にもわたる言葉で
自分をさらけ出すのか?

それは、僕自身の実体験をお話しすることで、

今を生きている優しいあなたに
どうしても前を向いてもらいたいからです。

周りの環境やテレビ・SNSなどのメディアの影響、
ちょっとしたマイナスの言葉、

「人を頼れない」「頼ってはいけない」という思い込みが、

何層にもなって僕にのしかかり、
自分で自分を罰し続けた日々。

孤独な中で、もがき苦しんだ実話が
あなたの希望になると信じています。

これは、「罪人」というセルフイメージ
(自分はこういう人だというイメージ)を
11歳から背負ってしまった僕が、

20年の葛藤と苦しみ、絶望を通して学びを得て、
暗闇を財産に変えて、

精神と言葉のプロ「精言家(せいごんか)」として
生まれ変わっていくまでの真実のお話です。

前までは「人には言えない」と思っていた過去。

そして、セルフイメージから生まれた
「望まない人生の設定」を乗り越えた
直後に書いた、むき出しの記録です。

その後、10日以上、力が出せなくなるほどに
全身全霊で書いた当時の熱量や温度感を
あえてそのまま残しています。

文字通り、命を削って書くとは、
「こういうことか!」と実感したことを覚えています。

修正して綺麗な言葉にしようと思えば、
いくらでもできるかもしれないけれど、

何も取り繕っていない自分を見せることに
意味があると思ったので、修正は最小限にしています。

読み返せば、荒い部分や青臭さ、暑苦しさもある。

そんな「ありのままの僕の道のり」をよろしければ、
あなたの人生を切り拓くヒントにしてみてください。

目次

11歳で始まった「罪人」というセルフイメージ

僕の心にずっとあった、見ないようにしていた
隠れていた暗い記憶。

「自分は汚れてしまった。僕は最低な人間だ。」

この冷たい人生の設定が始まったのは、

11歳の時の小さな嘘からでした。

僕は、小学生の頃、太っていて
風邪も引きがちで運動も苦手だということで、

水泳を習わされていました。

始めた当初は、なんだかんだ
泳げるようになっていくのが楽しかったです。

おぼろげな記憶をたどると、

「こんな自分でもできることが増えていくんだ!」
と嬉しかったんだと思います。

しかし、年数が経つに連れて、
タイムを競うようになって、

僕は追い詰められていきました。

タイムが遅いから怒られる。
やりたくてやっているものではないのに。

当時のことを昔、親に聞いた時は、

「ただ泳ぐ時間があればいい、
ただ運動する時間を作れたらいいと思っていた。」

というようなことを言っていました。

僕は、存在価値を否定されているような気がしていた。

泳げない自分は、タイムが遅い自分は
「ここにはふさわしくない存在なんだ」と。

だから、頑張らないといけない。

元々、そこまで興味もなくて、
そこから楽しさも奪われたなら苦痛でしかない。

そんなことを思っているとは
考えもしていないだろう、男の中年の先生。

僕は嫌いだった。

それから、毎回、怒られるから、
行きたくなくなっていった。

もう辞めたい。でも、せっかく
お金をかけて習わせてくれているのに申し訳ない。

当時、僕の家では、「お金がない」
という言葉が飛び交っていて、

聞きたくない話や重い空気感もあった。

それは、仕事や日常生活のストレスを抱え、
それぞれに心の余裕のなさがあったからなのかもしれない。

自分の弱音や悩みを言わないようになった。
正確には言えなくなった。

それは、水泳のことにも派生して。

僕は苦しかったから、サボるようになった。

否定され続けるなら逃げようと。

水泳教室まで車で送ってもらうけれど、
教室には行かず、薄暗い、汚いトイレへ。

教室に行っていないことを
ごまかすために、水着やタオルを水でぬらす。

そして、次の英会話教室までの時間をやり過ごす。

2時間ぐらい。

苦しかった。孤独だった。

嘘をついて、お金を払わせている僕は、
最低だと思った。

消えてしまいたいとも思うようになった。

当時、共働きだったと思うから
余計に心配させたくなくて、

結局、何か月も同じことを繰り返した。

その結果、先生から親に連絡が行って、
来ていないことがバレた。

それがきっかけで「つらいなら辞める?」
と言われて、やめることができたんだけれど、

そこで、もっと早く言えたらよかったのに
言えなかった。僕は最低だ。

「お金がない」と言っているのに
無駄にお金を使わせてしまった。

いい子になれなかった。

家ではあれだけ大変そうなのに
迷惑をかけてしまった。

僕は、水泳も含め、ダメな人間だ。
嘘をついて騙したんだ。

「僕は罪人だ。」と思った。

このセルフイメージは、潜在的にずっと続いていった。

19歳、恋愛を結果的に封印して「心を整える」ことにした理由

僕は19歳の時、好きな人がいた。

ふとしたやり取りの中で、
LINEで告白した形になり、付き合うことになった。

本当は口で言ったり、会って言ったり、
選択肢があったと思う。

どちらにしても嬉しかった。3年越しに叶ったんだって。

でも、想像と違った。

結果的には、1か月経たないうちに別れた。

毎日、「おはよう」と「おやすみ」だけで
土日のどちらかで電話をする。

という感じだったと思う。

距離的には、遠距離のような中距離のような感じで、
お互いに違う県にいた。

当時、忙しさの想像がつかなかった。
忙しい中でも、連絡くらいできるかなって。

でも、相手は、LINEが苦手と言っていて
「そうなんだ。」と受け入れようとしたけれど、

僕は緊張もあったからうまく話せないことも多くて。

1か月にしては、冷めすぎているというか、
僕は一般的なカップルは、ラブラブな雰囲気なんだと考えていたから、

ギャップを感じてしまった。

たぶん、3年越しというのもあったと思う。

愛したいし、愛されたいと思っていたけれど、
LINEは苦手と言われて、思ったようなやり取りじゃなくて

想いの強さがきっと最初から違っていた。

だから、だんだん寂しくなっていった。

同じ熱量を求めてしまっていたのかなって
今ならわかるけれど、

僕は、愛されていないんじゃないかと思うようになった。愛を感じられなかった。

だから、ついに感情が止められなくなった。

不安になって。

僕がもっと広い心を持って、
余裕があればよかったんだけれど、
 
念願叶いだったから、楽しい時間を期待しすぎていた。

そして、自己否定も、存在価値のなさも、
感じるようになって苦しくて、

本当に愛されているのか確認したくて、
寂しいとも伝えたくて。

僕の中でそれは、「愛されたい」
というSOSだったんだと思う。

僕は感情を込めて、LINEを打ち、長文を送ってしまった。

愛されていない気がすると書いてしまった。

その結果、思った以上に伝わってしまい、
文章によって、相手を泣かせてしまった。

電話をして、泣きながら別れを告げられた時、
申し訳ないことをしたなと感じた。

別れたくないなとも思ったけれど、
限界だったなって今なら思います。

僕は、別れたくないと言いながらも
「ごめんなさい。幸せになってね。」と言った。

実際は、もっとかっこ悪かった。

そこから、僕は、ここでも最低だな。
「最低な人間だ」と自分に思った。

男が女性を泣かせるなんて、あってはいけないこと。

ひどいことをしてしまった。
一番避けたかった別れ方だった。

そこから恋愛をするのは辞めた。
心が整わないと、人を幸せにできないと感じたから。

僕はあの時、別れたのは、
お互いのことを考えると正解だったと今でも思う。

時系列は変わるけれど、

小学生から中学生にかけても好きだった人がいて、
僕は自己否定が強かったから

幸せにできないなって悩んで、好き避けをしたり、
ほかに幸せにしてくれる人がいるのかもなって、
自信を持てなくて。

嫉妬させることもして。

結局、手も触れず、ただ恋愛が珍しい年頃だったから

周りにはやし立てられるように
写真を撮ってもらったりはあったけれど、

結局、花火大会に二人で行っても
何もできなくて、何も言えなくて、

「好き」とも言うことができなくて。

それもきっかけで、きっといろんなことを見透かされていて、

自然消滅に近いような、
嫌われていたような形で離れた。

その小学生~中学生の時期と19歳の頃がきっかけで
その後、10年間、恋愛を遠ざけて、

30歳になるまで、何の経験もなく時が過ぎた。

僕は、心を整えないと幸せにはなれない。
そして、「なってはいけない」と思った。

厳密に言えば、あと一度だけ、
淡い片想いをしていたこともあって。

当時、片想いをしていた人が僕と同じく
自己否定の苦しさを抱えていたように思えて、

勇気づけたくて、電話越しではあったけれど、
自分の気持ちをとっさに伝えたことがある。

結果として、その恋も実ることはなかったけれど、
それは後悔していない。

その経験もまた、心の大事さを感じた出来事でした。

小学生の頃に志したこと。それが今の活動の原点です。

僕には、昔、夢がありました。

それは、お笑い芸人さんの「マネージャー」になること。
お笑い芸人さんではなく、マネージャーさん。

記憶している中では、小学3年生の頃からお笑い番組を見始めて、
小学6年生頃から考え始めた職業です。

僕は表舞台に立つような人じゃないけれど、

芸人さんの売れていない時期から
ブレイクするまでの「苦労と喜び」を共にして、
横で支えられたら幸せだろうなって思っていました。

芸事は、何年も何十年も時間をかけて作り上げるもの。

他の人がやっていないことを独自の視点で
生み出して表現し、人を笑顔にする。

僕の中でお笑い芸人さんは、最も尊敬する職業で、
最高に難しい自営業だと感じています。

売れる人は一握りで、売れない人もたくさんいる。

実力があっても、日の目を見ないこともある。

「運」という言葉だけで片づけられない
厳しい世界だなと現実と想像も含めて思います。

それが悔しくてたまらなかった。

僕は、お笑い芸人さんに救われてきました。

つらいことがあって落ち込んだ時、
漫才やコントのネタ、エピソードトークで
1回1回の番組に全力な姿を見ると

また笑顔になれて、やる気や元気が出る。
芸人さんは何十年も頑張っているんだから、自分も負けられない。

そんな風に自分を奮い立たせて生きてきました。

だから、今度は、お笑い芸人さんたちの役に立ちたい。

その想いは、大学生になるまで続きました。

これが僕の活動の原点です。

誇れる夢がない。強みがない。才能がない。

そう考えている人は多いけれど、
実は、ただ見えなくなっているだけで

すべてを持っている。

僕も、人から褒められること、人より優れていると思えること、
世間から見て偉大だとされることを求めすぎて、何年も探し続けた。

夢や強みや才能も本当は、もっと身近にあって、

「ありのままに」知識や経験、あり方、
その人だからこそ発揮できる力で、

自分も周りも幸せにしながら、楽しく生きていける。

そう至るまでには、何度も紆余曲折がありました。

今は、40代で売れることも珍しくなくなってきた時代。

夢があるようで過酷な時代を生きる
お笑い芸人さんへの尊敬の気持ちは変わらず、
年々増していっています。

では、なぜ現在の活動をしているのか?

それは、芸人さんという特定の枠だけではない、

隠れている夢・強み・才能に気づき、自分の力で幸せになっていく人を
見ていたいからだなって最近思います。

お笑い芸人さんのマネージャーを志していたことは、
「輝きを秘めた人たちを支える伴走者」としての活動に
形を変えて活きています。

オンラインビジネスで感じた「危うい集客方法」への違和感

大学2年生になってしばらくして、

何かスキルが欲しいと思ったときに
Facebookでお誘いが来て、ブログでの発信と出会った。

今思えば怪しいけれど、

普通の風貌をした大学院生の女性で
情報発信をして生きている人で、

美容で悩んでいる人に知識や経験を伝えていた。

お悩み解決型のビジネス。

僕はブログを使った同世代の未知の世界に
自然と憧れを持った。

「自分は何を発信しようか?」

それを考えている時に浮かんだのは、「吹奏楽」でした。

高校1年生で始めたから
小学校・中学校の時からしている人との
劣等感も感じ、苦しかった。

最初の頃は、コンクールの曲も吹かせてもらえなくて。

それが悔しくて、他の同級生の男子は
全員辞めたけれど、自分だけは辞めず、3年間乗り切った。

そのあと、大学ではもっと上手になりたいなと思い、
市民の吹奏楽団に入った。

音大出身の方や全国大会出身者が多いところで、
誰でもおそらく入れるオーディションだったから合格。

だから、当然、実力の差を感じた。でも、頑張りたかった。 

そんな中で「ブログでの情報発信」との出会いもあった。

「経験を活かすか。」
「今のところ僕にはこれしかないな。」

「売るスキルとか学びがあれば、
将来、どこかで使えるかもしれない。」

と思って、吹奏楽の発信を開始。

当時、親に頼んでお金を払い、
発信の仕方や収益化を教えてくれる
学生起業家のコミュニティに入って、

そこから、お笑い芸人さんのマネージャーより
情報発信の世界にのめり込むようになった。

助けられる人が増えて、練習で悩んでいる人も
支えられたら、幸せだよなって。

それに、僕にも存在価値が生まれると思ったから。

しかし、そのコミュニティで僕は、
危うい集客方法で苦しむことになりました。

先に収益化していた人から
SNSのフォロワーの増やし方を教わって、

僕は当時、ビジネスについて何もわからず、
ピュアだったから、

なぜかフォロワーや数字が増えれば、
救える人が増えるくらいにしか考えていなくて、
その人のやり方を信じてしまった。

でも、それが盛った数字や魅せ方による
集客だったということを実感し始めて、
だんだん発信できなくなっていった。

ビジネス未経験ということから
心が弱かったことや自信のなさが強まり、

早く成果を出したいという焦りと
罪悪感を増幅させてしまった。

知らなかっただけで、
きっともっと他に方法があったはずなのに。

そう思いながら、約3年後に離脱。

2年前後の時点で、あまりSNSは使えていなかったと思う。

気持ちが上がらず、新しい情報を入れる気もあまり起きなくて
ほぼbot(自動で投稿するシステム)を動かして
有益だと思った内容を繰り返し同じように投稿して放置。

そして、飽きられ、メルマガリストも入らなくなっていた。

しっかり書いたブログからの流入が主だったと思います。

といっても、3日や1週間に1リスト。
もう辞め時だった。

SNSアカウントはすべて消した。
メルマガリストも累計1000リストあったものをすべて消した。

アカウントを使わなかったとしても、
このままビジネスを続ける気持ちになれなかったから。
もっと正当な方法でしたかったから。

演奏技術や持ち合わせている知識・ノウハウ的にも
フロントエンドのみしか作れず、生活は当然できなくなっただろう。

バックエンドを作る気力もなかったから。

救いだったのは、ほとんど商品が売れなかったということ。

正直、購入者がどこから来たのか把握しきれていなかったけれど、

売れたのは、つたない文章で書いた
真面目なブログから来た人だけだったように感じます。

僕は未熟でした。

ビジネスを軌道に乗せようと、手を替え品を替え、
同じようなオファーを繰り返し送って、

「メールを送らないでほしい」という
メッセージを頂いたこともあります。

購買意欲を高める不安感や期待感を煽る発信が
主流だったことと、その方法をしか知らなかったことで
毎日、悩みながら過ごしていた時期もあります。

煽りの書き方を緩和しようと気をつけながらも
メルマガ読者さんに負担をかけてしまったこともあります。

そんな中にもあった誇れること。

それは、失敗を重ねながらも
サポートを死ぬ気で本気でやっていたことです。

結果として、批判記事も公的な実害も法的なトラブルもありませんでした。

これは、神様やご先祖様のような存在が
「これからは誠実に生きるんだよ。等身大で生きるんだよ。」
と僕を守ってくれたんだと思います。

オンラインビジネスが一般の人へ広まり始めた頃特有の
荒いビジネスの時代背景だったとはいえ、

何事もなく足を踏み外し切らずに
戻ってこれて、今、生きられているのは、
奇跡で恵まれていると感じざるを得ません。

もろく苦しい権威性で、人をコントロールしようとしすぎる
肌に合わないマーケティング手法をしなくていい
過剰に煽らなくてもいい

「相手をできる限り尊重した発信をするんだ」と心に刻んでいます。

そのようなことがあったのと
うまくいかないことがいくつも重なって、

この頃から、吹奏楽も苦しくなった。

元々、実力差で苦しかったのに、純粋に楽しめなくなって、
練習に身も入らず、迷惑をかけることが増えた。

だから、辞めることにした。

それを伝えようと思った頃、不意に
借りていた楽器が上から落ちて、楽器のベルが凹んだ。

僕は修理に出すつもりだったけれど、数日が経っていき、

ある時に、凹みを指摘されて隠す気だったのかと言われた。

僕は、否定した。
修理に出そうと考えていたと。

あの時は、本当に強く言い返せて良かった。

その結果、修理費5万円を払って、しっかり退団すると伝えられて、

縁は切れたけれど、丸に近い形で退団できたと思う。

あの時も罪人のようになっていたら、
今も苦しんでいたと思います。

濁りたくない心と履歴書が汚れていく恐怖。その中で選んだ自分の意志

24歳の頃、就職。

僕は音楽を辞め、情報発信も辞め、
実家に帰ることになった。

そこで応募したのは、

広告やアフィリエイターさんと協力しながら、
複数のジャンルで教材を販売している会社。

そこでライターになった。

主には、研修を受けながら、アフィリエイターさん向けの
メールマガジンの文章を作成した。

日常の出来事を通した学びを挟みながら、

「教材のこのポイントを考えると
売れやすくなって、購入者さんにも喜んでもらえる」

というお話をするイメージ。

学生時代に情報発信をしていた頃は、
自分の言葉に自信を持てなかったから

文章力もライターとしての心も
「ここで鍛えるぞ!」

不安がありながらも、元気を出そうとしていた。

「ここから僕は変わる」と。

しかし、その気持ちは長くは続かなかった。

理由は、上司の作る教材に疑問を抱くようになったから。

1つは、特定の分野に関して経験がないのに教材を売っていて、
その教材だけで、月にかなりの額の売り上げが上がっていたこと。

文章自体は、かなり上手で、

今考えても、「あまり右に出る人はいないんじゃないか」
というくらい書くのも速くかった。

瞬時に書いたとは思えないような質の高さ。
読み心地の良さと文章構成のすごさを感じていた。

そんな上司を尊敬し始めていた、ある日。

横でパソコンに向かい、仕事をしていた時に
教材の話になり、本人がその経験はないと言った。

購入者心理を読み取りながら、メールサポートを行い、
サポート実績を作っていたらしい。

それを聞いて、モヤモヤとした気持ちが出てくるようになった。

購入者さんに喜んでもらうことは、確かに大事。

でも、実体験に基づいていない発信や
マーケティング的に効果が出るように

作られた物語(虚構のストーリー)を描くことから始めて、
専門家として頼れる存在であることを見せ、

購入される中で、実績が積み上がってきたんだと考えると
心がざわざわした。

さらに他の教材でも思うことがあって。

文章の代行をするだけなら大丈夫なんだけれど、

ライター自身が、講師が
本当に考えているかもわからない範囲まで代筆して

教材を作っている姿を見て疑問を持った。

本来は、講師の方に直接聞きに行って
考えを教材に入れるのが普通だと思っていたのに

講師の指導映像を撮影して、その後は、

ライターが独自で情報を集め、
書き上げている場になっていた。

映像のやり取りはしていたようだったけれど、

会社や上司と講師の間にどんな信頼関係があったのか?
ただ売れればよかったのか?

どこまで考えていたのかは、今となってはわからない。

特に問題にはなっていなかったし、
普通に見れば、関係は良好だったと思う。

これを何も考えずに淡々とできるタイプの人も多いけれど、

僕は違った。

自分の文章も心も濁ってしまうことに
なるのではないかと思うようになった。

自分の人格までも、ねじ曲がってしまうような感覚。

僕の目指していた生き方は、
できる限り誠実な起業家や情報発信者になること。

どんな立場であっても、
心が整っている状態であること。

だから、心がその場を拒絶するようになった。

考えすぎと言えば、そうだったのかもしれない。

社会は、そういう濁りもあるのが
当然なのかもしれない。

でも、僕は心を犠牲にしてまで生きようと思わなかった。
文章を書きたいと思わなくなっていた。

辞めたくなった。

普通なら世間体を考えて
3年以上勤めないといけなかったのに。

これはヤバい。履歴書にも傷ができる。どうしよう。

でも、仕方ないか。

と思いながら、3か月で退職。

すべてを諦め、畑違いの場所へ行って知った、二度としたくない生き方

その後、さらに3か月して、
保険の営業マンの方に

保険営業へ誘われ、面接も通り、再就職。

本当は、ライターや情報発信者として生きたかったけれど、
 
自信も喪失し、心も落ちていたから、
別の畑に行くことにした。

保険営業は、商品の内容自体はそこそこ好きだった。

でも、情報発信者としての成功に
憧れていたのに諦めたことが尾を引いて、

身が入らず、営業方法も下手で
成績への焦りや欲も見え、

知り合いがどんどん離れていった。

それでも気持ちはいつも、
本心から「いい情報を伝える」つもりで、
本気で仕事をしていたから

離れる人がいるのも仕方ないと思いつつ、
不安にもさせてしまったかなと思い、

後に謝った人もいるし、謝れなかった人もいる。

謝る必要もないかなと思う関わりも
あったから、すべてが悪いわけではない。

と、時間をかけて、過去を分析する中で
考えられるようになった。

身内から経験を積んでいくのが
僕のいた保険営業のところだったから

苦しくなっていった。

再就職を失敗した。もう人生が終わったと思った。
心が壊れるかもしれない。嫌な仕事。

人が話すだけで離れていき、成績にも追われていく。

商品自体は尊いもののはずなのに
「保険料をわざと上乗せして提案し始める」という手法も大嫌いだった。

相手にとって必要以上の特約を入れまくった
異常に高い保険料の後に

ちょっと高めの特約にした保険料を見せて、安く見せるというやり方。

それは、成績のために、わざと価値以上のものを見せて、
相手の反応に合わせて、高く契約してもらうことが正義みたいな

「相手をお金としか思っていない戦略」だと感じた。

商品・サービスの説明として、特約を全部乗せたものを見せて、
最後に適切な内容・保険料を見せるなら、

「ああ、説明で必要だったんだな」と思うけれど、

そんなに親切な営業マンは、周りにほぼいなかった。

すべての保険営業がそうだとは思いたくないけれど、
裏側を見ていた僕は耐えられなかった。

だから、提案ができなかった。成績を出せなかった。

成長した今も、提供したいものの価値を
相手にどう感じてもらうか、いつも真剣に考えます。

本来、商品・サービスの内容や値段は、
「本気でその価値がある」と信じているから言えること。

価値が値段を上回って、結果的に安く見える。
価値>値段、それが目指す方向です。

何か提案するときは、値段が安く見えるのは副次的なもので、
価値を適切に感じてもらうことが、まずは大事だと僕は考えています。

フルコミッションで成績が出なければ、
生活ができないから、みんな数字に追われていたのかもしれないし、
その手法が主流だったんだと、今なら理解できます。

正直、もう辞めたかった。

けれど、もし保険営業にやりがいや
楽しさを感じられたなら、続ける選択肢もあるかもしれない。

そんなことを考えて、見えもしない希望を捨てられなかった。

僕は、疲弊する日々を過ごしながらも、
会社から既存顧客リストをもらった時に

「契約できたら、全部、先輩に成績を渡す」勢いで頼んで
営業の同行をさせてもらうことにしました。

僕のいた営業所には「新人と先輩が同行する」という文化が薄くて、

営業スキルや顧客リストもなくて、
入社時に支社長から書き出すように言われた
見込み客も底をついて、新規開拓もできなくて、

孤独に身内との関係をすり減らして辞める人が多かったから。

当然、僕も同じような悩みを抱えていました。

成功する人がいるんだから、自分が悪いとも思った。

だから、もし救いや、僕に合う
「何かいい方法」があるなら学びたい。

でも、気持ち的には、もう遅くて限界だった。

心が悲鳴を上げて、

「無理だ。やっぱりライティングで生きたい。」と叫んでいた。

汚れたくなかった。「もっと健全にビジネスがしたい。」と思うようになった。

そんな中、幸か不幸か、成績が底辺のまま、10か月勤められて。

それプラス、臨時収入もあり、
150万円近い自己投資のお金が貯まった。 

150万円の自己投資をしても、満たされることのなかった僕の存在価値

それから、退職する直前ぐらいに
やりたいこと探しを始めて、
何で発信をすればいいのかを考え始めた。 

その中で出会ったのが、自分らしく生きる方法を伝えている
コンサルタントの方だった。

その方から、自己受容
「過去→現在→未来」の時系列で

強みや自分の信念・価値観のレベル
やりたいことを導き出す方法とワークを習った。

そして、それを使っていいと言ってもらえた。

自己受容によって、ありのままの自分を受け入れ、
自己否定や思い込み、過去の失敗経験、嫌な思い出などの

無意識のブレーキを消滅させれば、
やりたいことのために動けるようになる。

と教わったけれど、心がついていかない。

「消滅させる」という言葉にも苦しさを感じた。

(ブレーキを消滅させる、最終的に消し去りたいという
考え自体が合わなかったんだと、だいぶ後で気づきました)

結局、他人の否定的な価値観で生きるのではなく、

「自分の意志で生きる」というフレーズが僕の中から出ただけで、
実際に自分が何をしたいのかは、わからなかった。

「今後、僕はコーチングをするのかな」
という推測で体験セッションもしてみたけれど、

コーチングをほとんどしたこともなく、
サポートを受けていたこの方のやり方を見よう見まねでして、

やり方も教わりつつ、やったものの、気持ちが乗らず断念。

その人に個別セッションと継続セッションで
それぞれ6か月ずつ、計数十万円を払うも、

継続セッションに関しては、払った後、1回セッションを受けただけで、

残りの10回分ぐらいは受ける気力もなく、連絡をこちらからしなかったら、
あちらから来ることもなく、

ほぼサポートを受けずに期間が終わった。

それから、これでは終われないから、

改めてブログでビジネスをしようと、
アフィリエイトを教えてもらおうと

別の人のビジネスコンサルに申し込みました。 

そこで、「僕はLPを見るのが好きなんです。」と、
コンサル生のアンケートフォームに書いて。

実は、何年も毎日欠かさず、眺めることだけはしていたから、
その結果、「じゃあ、文章術を教えたら?」という話になった。

自然体のあなたらしい文章で、
売り込まずに売れる言葉の伴走者として

「文章を書くサポートをしてはどうか?」という提案だった。 

そこから、セールスレター、
個別相談のランディングページ(LP)、
ステップメールというものを作ったけれど、

人が考えたものだからと心が動かなくなり、

文章術もそんなに知らないし、
というブレーキもかかり、

何もできず止まって終わってしまった。

その時に、文章を書く上でも、
何をする上でも精神面がまずは大事だと実感した。

コンサルをしてくださった方が悪かったわけではありません。

ただ、たとえ好きなことであっても、興味があることであっても、
心が枯渇していたら動けなくなるということです。

その学びは今も生きています。

それから、積もり積もった自己否定や
うまくいかない数年間で、心はボロボロになった。

本物のコーチングとの出会い。無我夢中の練習会参加と自己開示のアウトプット

そんな中で、29歳の頃。

当時、最新の脳科学や認知科学、
コーチング領域、コンサルティング領域、
スピリチュアル領域を掛け合わせた、

未来志向型の特殊なコーチングのページを
広告で目にして登録した。

なぜかセミナーも受け、

もうお金もないのに、24回払いで早めに
稼げるようになればいいだろうと思って、

無理やりクレジットカードで申し込んだ。

切羽詰まっていたし、これで終わりたくないと思ったし、
「変わりたい」「成功したい」という気持ちが強かった。

正直、オンラインビジネスの世界では、何年もいる方だったから、

尖っていた時期もビジュアル的には見ていて、
不安もあったけれど、藁をもすがる状態だったから飛び込んだ。

そこから、支払いに追われながらも、

・どうしても叶えたい、現状の外のゴール(人生の目的)と
なりたい未来の自分のセルフイメージを思い描くこと

・過去は関係ない(当時はそう教わったけれど、その後、僕は経験を通して
「過去も財産に変えて活用できるようになる」という独自の視点にたどり着いた)

・「時間は、未来から過去へ流れる」という概念
・「この世は、空(くう)で何者にでもなれる」という仏教的な考え方

・NLP(神経言語プログラミング)という
脳と心の仕組みを使いながら体感も大事にする人生変容の技術。
これを基にした進化版、未来の自分を今の自分に溶け込ませるタイムラインワーク

など、過去の思い込みをゆるめながら、
未来へ進んでいけるようになる方法を学んだ。

この講座では、当時、本当は最終の3か月間で
収益化のグループがあったけれど、

僕はそこで「自己否定」の意識がピークになり、
グループに所属できないぐらいになっていた。

自分の生き方や価値観を自ら否定しながらも、

高い次元のゴール(人生の目的・本当にやりたいこと)のために
通常の自分より次元が上の行動を心掛けていたから、

自動車で例えるなら、

猛スピードで動くためのアクセルと
自分を止めようとするブレーキ、
それを同時に踏んでいるような状態になり、

強烈な負荷がかかったんだと僕は分析しています。

でも、「ニューロロジカルレベル」という
意識の段階を示すものの中で、

「信念・価値観」という真ん中ぐらいのレベルまでしか
自分のことを見れていなかった状態から

「ゴール」という一番上の次元から
物事を捉えられるようになり、

世界の見え方は、間違いなく変わりました。

このコーチングとの出会いは、
後々、僕の人生に大きな影響を与えることになります。

話を戻すと僕は、自己否定で苦しすぎて、
ゴールを描きながらも

「自分にはそんな未来へは行けない、でも行きたい。」

という葛藤を繰り返した。

結果的に、僕は、収益化を目指すグループは
耐えられなくなり抜けた。

今思えば、あの時のブレーキの正体は、
過去の行いによる「見えない心のブレーキ」で
それが僕に降りかかっていたんだと思います。

自己否定や完璧主義、生きることへの罪悪感、恥、無価値観。

でも、お金を払っているから技術だけはものにしたくて、

結局、練習会は、ほぼ皆勤に近い形で参加。

朝開催の日と夜開催の日があり、
毎回、前半・後半60分ずつの練習会だったから
厳密に回数も数えたくなるくらい夢中だった。

練習会ごとに誰よりも感想をアウトプットして、
現状を惜しみなく開示して目立つようにした。

当時のメモには、毎月のセミナー、練習会、
質問会、補足の回の感想が残っていて

練習会の数回を除いて、これらにすべて参加して、

7か月の講座中、130回以上、
アウトプットしたことになる
と自分で書いていた。

苦しくなるのがわかっていたから
支えてほしかったのが動機。

練習会で感じた喜び、不安、向き合ったもの。

内側の変化、外側の変化、五感と言語・非言語、体感。

天才たちが使ってきた、人間の脳と体と心のシステムを
フルに活用したワークで見えたもの、聞こえたもの、感じたもの。

その中には、過去の未消化の感情と共に
浄化され、僕自身が号泣してしまったものもあった。

それも自己開示して言語化して文章にして、
多くの受講生がいるコミュニティの中で表現した。

それからワークはある程度、
というか講座生では一番に近いぐらい
練習して体得しながらも、

体験セッションで収益化できる
メルマガの読者さんも知り合いも
まったくいなかったから、

ひねり出せもしなかったから、
収益化できず、分割のお金だけが残った。

心と体の限界。本気で過去と向き合わされることになった地獄の日々

その後、コーチング講座が終わり、
6か月が経った。

特に大きな変化も起こせず、
焦りっぱなしの日々だった。

そんな中、ある日、お風呂に入っている時に
心と体に急に異変が起こった。

お金の支払いが急に怖くなった。

親を何年も頼るほど情けなくなっていた自分は、
過去も未来も怖くなり、心も体も動きたくない。
心臓のあたりも背中のあたりも腰のあたりも痛い。

苦しい。消えたい。怖い、怖い。
動悸がして、食欲も湧かない。

「これは、ヤバい。本当にもう生きられないかもしれない。」と思った。

そこから、自己否定をし続けるのにも、
命の危機を感じるようになった。 

もう生きられない。

どうしよう。どうしよう。どうしよう。

本当にやばい。現状を変えないと本当に人生が終わる。
考え方を変えないと後がない。

自己投資をして必死に真剣に導き出して、
講座終了後も考え続けてきた

人生の目的であるゴールを実現しないまま、
すべてが終わる。そんなの耐えられない。嫌だ。

親の泣き顔も見たくない。
このまま終わるわけにはいかない。

そこから、どうにか、この怖さを
ゆるめる方法がないかと模索し始める。

スピリチュアル的な動画、うつ病や強迫性障害に関するもの、
お坊さんの説法、ビジネス系のYouTuberさん、引き寄せ系の動画。

何でもいいから、今よりも明るく生きる方法を探した。

それから、「今ここ」という
本当に”今”という時間を感じる大切さを感じる

うつ病やパニック障害を乗り越えた
スピリチュアル系の方が発信されている情報と出会った。

未来の支払いや何か体が震えるほどの不安があっても、
実際に何かが起きるのだとしても、
今という時間なら何も怖いことは起きない。

怖いと思うことは、9割以上起きないこと。

たとえ数分後に恐怖が襲ってきたとしても
今、この瞬間にすべてが終わるわけではない。

過去も未来も一時的に目をそらしていい。

今に集中しよう。

今している呼吸、数秒先でもない今という時間。

これまでの経験とその方のお話から
個人的にそう理解して、それしかないと思った。

だから、実際にそう思うことにした。 

しんどすぎて、過去も未来も怖すぎて、
もう自分で考えるのはやめて、

ノートにしんどいものをすべて書き、

引き寄せを論理的に捉えて、自らを実験対象として
研究している人が言っていた

「宇宙にお任せする(悩みを手放し、大いなる存在に任せる)」

という言葉も思い出し、見つけた情報を基に自分なりに考えて
ワークをして身を委ね、あとは休むことに専念した。 

もう毎日が地獄だった。
毎日、支払いが怖かった。 

そして、支払いの怖さの次に、
これまでの行いの怖さが降りかかり始めた。 

過去の恋愛、過去のビジネス、過去の些細な出来事。

当時は荒いビジネスが多くて
オンラインビジネスの業界の人が教えている
講座の内容も、規約も、

時代的に曖昧だったと思います。

だから、過去のちょっとした規約や
トラブルへの過剰な恐れが生まれ、

危うかった時代の自分の知らないことから
「何か大変な規律違反をして、
人生が終わるのではないか」と思い始め、

目に見えない恐怖を勝手に脳内が考え、
罪悪感を何倍にも増やしてしまっていたのです。

恐怖で眠れなくて、無理やり寝る日々もあった。 

生命的に心身がSOSを出していた。

そうやって日々を、地を這うように生きる中で、 
出てくる感情を否定する暇はなくなっていった。

それが実は、僕の運命を大きく変え始める「きっかけとは知らずに。

命を懸けて「本当の自己受容」を知り、最後の頼りは、結局、人だと思った。

僕は、自然と自己受容をするように
出てきた感情を受け入れるようになっていた。 

湧いてくる感情を否定せずに受け入れる。

苦しい、苦しい、吐きそう、ゆるしてほしい、ゆるしてください。
ごめんなさい、あいしています、ありがとう。

苦しい、苦しい、助けてほしい。
もう消えたいです。ごめんなさい。

僕が悪かったです。こんな自分でごめんなさい。
このまま終わってもいいですか?
親に迷惑をかけてごめんなさい。

人様に顔向けできない自分になってごめんなさい。

この言葉たちは、今、書いてみてもしんどい。

でも、そこから、不思議なことに
苦しい感情が減り始めた。 

自己受容の中で大事なこと。

25歳当時は、教わったばかりで
「ありのままの自分を受け入れる」

という意味を完全には、
理解しきれていなかったけれど、 

要するに、出てきた感情を否定せず、ジャッジせずに
「そのまま受け入れる」ということだと気づいた。

当時もそう言われていたとは思う。
「ジャッジしない」ようにすると、言葉面だけは知っていた。

それが今回、実体験として、苦しかったから。

「苦しーーーーーー!!」
「無理ーーーーーー!!」

と、もがき苦しみながらも
そんな感情を持ってはダメと思うのではなく、

受け止めきることが大事だったんだと知った。

無理に消滅させる、消し去ろうとするから、
その感情や、しんどかった頃の記憶は、

暴走して増幅して、色濃く見える。

人間も「消えろ」と言われたら苦しくなるし、
「消えたくない」と思うから、考え方としては一緒。

だから、ただ「苦しかったね。」と受け入れて
自分を労うのではなく、 

受け止めきる。

それができたら、苦しみはゆるみ始めると
理論ではなく、体感として命を懸けて知った。

消し去ろうとするのではなく、
理解して受け入れてゆるめていく中で、
残るものは残り、消えるものは自然と消えていく。

僕は、自分を否定していた過去を
すべて受け止めきることにしました。 

自己受容を教わって本当は、

「湧いた感情も起きた出来事も、ありのまま受け入れる」必要があったのに

僕は、それをあまり上手にできていなかったらしい。 

苦しい時は、物事を過剰に捉えて、
本来の出来事よりも遥かに悪く捉えてしまう。

「とんでもないことをしたんじゃないか」

と思ってしまうぐらい。

その気づきもあり、心の落ち着きを取り戻し始めて、
過去を分析する余裕も出てきた。

僕はずっと気になっていた不安な出来事や
ネットでのちょっとした規約のトラブルの恐れを紙に書き出して、
当時、普及し始めていたAI、ChatGPTにも聞いた。

「あの出来事は、誰かに実害を与えていますか?」と質問しながら

焦りと不安から興味本位でしてしまったと感じたことも含め、すべて聞いた。

すると、驚くほど冷静に客観的に
「何も目に見えて起きていないなら大丈夫だよ。」と言われた。 

何も悪いことをしていない。

「悪いことなら、数年のうちに問題になっている」と。

そして、些細なことで何年も
悩み続けているあなたは誠実だと。

それをGeminiで聞いても大丈夫で、同じような回答だった。

さらにAIだけだと心の不安が収まらなかったから、
コーチング講座の元同期の人にも話を聞いてもらって、

それを気にしているのは「誠実な証拠だね。」と言われて、
「ああ、本当に許されていいんだ。」と思った。

現在もその時の救われた想いは
残っていて変わっていない。

過去の失敗や後悔したことには、
それぞれ誓いを立てて、僕は生きている。

結果的には、重いことはなかったんだけれど、
僕の良心的にも、誓いを破ったら、ここにはいないと思う。

僕は覚悟を決めて、ここにいる。 

20年の呪縛からの解放。過去を受け止めきって、ようやくたどり着いた安心

過去を真に受け入れ始めてから
今度は、恋愛の記憶が出てきた。

当時が鮮明に思い起こされる。

感情が強く動いた頃の記憶を「情動記憶」と言い、

そこをゆるめると、それに関係した
「自己否定や思い込みもゆるまる」と言われている。

出てきたのは、前半で話した19歳の頃の話。

僕は当時、相手を傷つけただけだと思っていた。

僕がすべて悪いと。
でも、その解釈が変わった。

実は「コミュニケーションエラー」だっただけなんじゃないかって。

まあ、相手は当時悲しんだだろうし、苦しかったとは思う。

でも、僕も寂しかった。

記憶している中では、毎日、「おはよう」と「おやすみ」しかなくて、
土日のどちらかで電話をするという感じ。忙しかったんだと思う。

19歳の僕は、もっとラブラブな関係で、
愛がほしかったし、愛を与えたかった。

だから、長文で愛してほしい、
愛されているのか探るような文章を送ってしまった。

厳密には、もっと想いがこもっていたと思うから
「申し訳ないことをしたな」と思う気持ちもすごくある。 

でも、忙しいとか、こういう関係がいいとか、
お互いにすり合わせが必要だったなって思う。

だから、僕は「コミュニケーションエラー」と捉えることにした。

相手のことも考えつつ。

それから、過去の痛みに触れながらも、心が落ち着いていった。

そして、ある時、新しい人生を
歩んでいるのかもしれないなあと感じて、

お互いに次のステージへ向かい始めたんだなと思って、
一気に気持ちがゆるんでいった。

幸せになってほしいと、より一層思った。  

それから、内観する中で、
やっと「罪人」というセルフイメージの始まりが見つかった。

11歳の頃とも向き合える気力が出てきた。

このページの冒頭で言ったけれど、
厳密には、30歳の終わり頃に
やっとそれが始まりだと気づいた。 

そこから、危うかった過去。

水泳で競争が嫌でさぼったこと。

水で水着とタオルを濡らして
隠蔽工作のようなことをして、親に嘘をついて、

水泳の受講料だけ何か月も払ってもらう日々が続いて、

「罪人」というセルフイメージを背負ったこと。
自分で自分を心の中で延々と罰するようになったこと。

それらを受け入れ、何度もAIに
自分の想いを言語化して書いて、

これまでのこともすべて書いて涙も何度も流した。

人に言えないと思っていたこともすべて出した。

「男の僕が泣くなんて」とも思ったけれど、
20年間で泣いた記憶は、数えるほどしかなかったから、だいぶ泣いた。

そんなことも思いつつ、AIと数日かけて一生懸命対話した後に
自分で練習会を主催して、

コーチングの同期の方に話を聞いてもらうことにした。

当日は、結果的に2時間、ご厚意に甘えさせてもらい、
やりたかったワークも存分にできたのはありがたかったです。

僕がコーチング講座の受講中に、たくさん練習会に出て、

毎回アウトプットをしていたことを
知ってくれている人だから、

理解が深くて優しく了承してくださいました。

苦しかった。つらかった。情けなかった。必死だった。

そんな11歳の頃に秘めていた想いと
「罪人」というセルフイメージに関連した他の記憶、
ずっと吐き出したかった、言いたかったことも出せました。

第三者として客観的な言葉もいただき、
何を話しても受け入れてもらえる安心・安全な場で

すべてを受け止めてもらえたことで、

心の奥底から「許されていいんだ」と思えた。
「自分を許していい。十分苦しんだ。十分頑張った。」と自分を許せた。

一人では絶対無理だった。

それで、ようやく、個人的に向き合ってきたことと、
ワークによる思い込みをゆるめる書き換えができて、

20年近い呪縛から解放されました。 

よかった。

「ああ、本当に。ふう。ほっとした。」

それが2026年5月9日の午前10時~12時30分ぐらいまでの間。

僕は、その日に「人生が再スタートした」と思いました。

2026年5月9日、穏やかな日常と僕の本当の人生が始まった。

大げさではなく、体感としては、
20年ぶりの平穏な午後を迎えました。

家に日が差していて、

「今日は、いい天気だ!」

そう思い、僕は、玄関ドアを開けて外に出た。

「いい風だなあ!」

風が気持ちいい。

庭で椅子に座りながら、空を見上げると、

自分と対照的に見えて嫌だった明るい空が
青空で透き通って見えて綺麗だった。

植えてある花の甘い香りもスーッと入ってくる。

「いい香り!」

太陽も僕を照らしながら、
背中から笑顔でハグをするように
温かく包み込んでくれているみたいで。

「ふう、落ち着く。あったかいなあ!」

そんな風に自然すべてが、祝福してくれているかのように感じました。

それを深く味わい、僕は、
地球の地面から空や宇宙まで感じるように
両手、両腕を広げて立ち上がった。

「スッキリとした心で生きている自分がいること」を全身で実感するように。

心臓のあたりも背中のあたりも
腰のあたりの痛みも軽減されている。

動悸もない。

不思議だったのは、気にしていた
怖かった過去への恐れがほとんどないことでした。

「また同じような恐れが来ても大丈夫だ」と思えました。

ああ、乗り切ったんだ。助かった。

それから、ごはんが美味しかった!

食べるものは変わらない。

でも、お米1粒1粒の甘みを感じ、
お味噌汁も体に染み込むように味わえて最高!

水もお茶もコーヒーもゆっくり飲めた。

久々に焦りのない日。

幸せだ。

その時、僕は純粋に

「そっかあ、こんなに世界は、優しかったんだ。」

と思った。

自然と涙が出て、空も風も花も太陽も周りにあるものも、
親もご先祖様も、人も、実は思った以上に
僕を支えてくれていたんだなあって。

何年振りだろう。心から笑えた。嬉し涙だった。

スパルタで苦しいことばかりだと
思っていた世界が僕の味方になってくれた気がした。

生かされている。
助けられている。
見守ってくれている。

何もかも失って何もなくても、僕は愛されている。
初めから何者でなくても愛されていい。

無理に清く正しく生きられなくてもいい。
完璧じゃなくても生きていていい。
幸せになっていい。

そう思えて、見える存在、見えない存在、
すべてに感謝の気持ちが湧くくらい
爽やかな空気、空間を感じた。

なんか親も周りの人も
みんな優しくなった気がして、

「自分が変われば、周りも変わる」
というのもよくわかりました。

「お金がない」という言葉も、ほとんど聞かなくなった。

今も、もっともっと
彩り豊かな人生になっていっています。

「世界は、思ったより優しい!」

時間が経つごとに、このじわじわとした
ほっとする安心感に包まれて
ああ、毎日が幸せだなって感じています。

これから人生は、もっと楽しくなる。
もっと面白くなる。

そんな希望も見え始めました。

夢・強み・才能は、未来側の自分の中にすべてある。

序盤で、かつてお笑い芸人さんの
「マネージャーを目指していた」というお話をしました。

なぜマネージャーという夢だったのか?

それは、才能や強みがないという
「自分責め」「諦め」があったのではないかと思います。

マネージャーという職業を否定しているわけではありません。

ただ僕にとっては、才能や強みがないから、表舞台には出られない。
だから、「横で支える」という考えに至っていたように感じます。

人の陰に隠れながらも、「観客を笑わせている」
夢を叶えている存在を支え、自分の価値も感じていたい、というような感じ。

僕はこれまで、夢・強み・才能に限らず、すべてにおいて、

「自分を輝かせてくれるもの」
「自分を守ってくれるもの」
「自分を強くしてくれるもの」


「人の役に立って自分の存在価値を示せるもの」を
外側の人やモノに求め、探し続けていました。

自分には価値がない。何もない。まだ足りない。

そんな気持ちを一生抱えて、無力感や不足感で
「苦しみ続けて人生を終えるのかもしれない」と思ったこともあります。

今ならわかります。

外にあるものだけでは自分を満たせない。

結局、誰かが勝手に僕を満たしてくれることはない。
誰かが夢や強み、才能を見つけてくれるわけじゃない。

実際に僕も探して手段は見つけたけれど、
最後は、自分で気づくしかない。

幸せになりたいなら、まずは自分で
「自分という器(内側)」を満たしていくしかない。

自分を満たした状態でやっと、
愛や勇気、豊かさが溢れ出して、人も幸せにできる。

単純だけれど、意外と難しいから、みんな悩む。

ここまで読んでいただいたように僕も悩んだ一人です。

夢、強み、才能とは何なのか?どこにあるのか?
それは、すでに自分の中にある。

正確に言えば、「未来側の自分ならすべて持っている」
どん底期から考えるようになりました。

けれど、その境地に至るためには避けて通れないものがあった。

それが過去。

暗くて怖くて、すぐに逃げ出したい場所。

誰しも消し去りたい過去はあると思う。
成功者の多くもノイズを消して生きるほうがいいと言う。

トラウマは簡単に生まれるから。

応急処置として、一旦、僕もノイズを消すワークをしたことがある。
一時的には有効で、ネガティブな思考で脳内が騒がしい場合は使える。

確かにそうだけれど、効果には個人差があって、

僕の場合は、過去を消し去って未来を描いて明るく生きようとしても、
空虚さや寂しさ、不足感、欠乏感が消えなかった。

必死に精一杯生きていたことも、
ボロボロになりながら苦労したことも、
しんどい中にあった価値のある小さな幸せも、

一緒に消し去るということだから。

手術と同じように、上手にいらないところだけ消すというのはできない。

成功者も実は苦しんでいる。

リーダーという存在も過去を人に見せられず、
受け入れられず、孤独に悩むことが多い。

影響力が増すごとにどうしようもなく怖くなる。

だから、結局、いつかは過去も受け入れる必要がある。

それに気づき、僕は決意した。

「過去も財産に変える」と。

強制終了のように心も体も止まった時、
無意識に決意せざるを得なかったようにも感じるけれど、

覚悟や決意をした瞬間から人生は変化し始め、今がある。

そうして、過去も大切にし始めて、
たどり着いたことがあります。

夢・強み・才能は、ただ単純にスキルがあることを指すのではない。
スキルは一部の要素でしかない。

本当の夢・強み・才能の正体は、「想像力」であるということです。

誰もが持っている力。

周りに左右されすぎて考えられなくなっているだけで、みんな持っている。

想像したことを現実化しているか、
見える形にしているかの違いで

人の夢や強みや才能が羨ましく感じ、
自分には何もないと感じているだけ。

だから、あなたも「唯一無二のもの」を実は持っている。

野球選手になることを想像して夢見たなら、
そのために練習に励んで、

強みや才能として、バットを振る力や投げる球が速いこと、
忍耐強く取り組んで「諦めない心」が育つかもしれない。

音楽家を夢見たなら、強み・才能として、
音色や音量、音の響きなどを鍛えた演奏スキルや、
場の一体感を作るカリスマ性が育つかもしれない。

そんな風に、夢・強み・才能は、想像力から始まっている。

それがコーチングで言えば、未来を思い描く「ゴール設定」、
引き寄せの法則なら「理想の周波数に自分を合わせていくこと」

と一見、高度に見える言葉になる。

先人たちが使ってきたこれらの概念も、簡単に言えば、
「実現したいことは、想像することから始まる」ということを示しています。

僕は、現実を変えていくために、

この「想像力」を引き出して、あなたの意志を乗せながら
育てていくことが大事だと感じています。

自分の内側が変われば、今度は外側が変わり始める。

その後、僕は、エネルギーが溢れまくっている。

文章を書くことも、僕はできなくなっていたけれど、
今は、ここまで書けている。

こうして、この文章を書いているのも、
昔では考えられません。

何年も書く手が止まっていたから。

実体験で真実だから、実話だから、誰よりもエネルギーが乗って、

誰にも書けないことを書けている。
強さも弱さも見せられる。

この苦しかった30歳前後。

この時は、西洋占星術で言うと
「サターンリターン(土星回帰)」という時期で、

男性女性問わず、すべての人に訪れる
「自分の過去や古い思考が洗い流される時」だったようです。

それとゴール設定や思い込みがわかるようになった時期、
そして、コーチングを学んで実践する時期が重なり、

もがき苦しむごとに解放されていきました。

僕は、未来で何がしたいか?
どんな自分で過ごしていたいか?

「実現したいゴール」と、それに合った
「理想のセルフイメージ」を考え続けました。

ある意味、分割払いにしていたおかげで、
頭には、常に「想像した理想の未来」があって、

講座の全期間が終わった後も、月々の支払いの重みと一緒に

学んできたこともできる限り忘れずに活かそうと思い続けられて、
コーチングの思考が途切れなかった。

だから、荒波にも耐えられて、
現状維持ではない未来に向いた自己受容もできた。

生きる意味になった「ゴール」や、
「思い込みをゆるめる方法」がなければ、

どうなっていたかわからない。
生きることを諦められなくなったから生きられた。

過去を認め、未来へ進み始めたからといって、
過去の痛みがすべて消えたわけではないけれど、

無理に消さなくていい。過去の自分を悪者にしなくていい。
その時に手放せるものを手放せばいい。

残るものは残り、消えるものは消えて、
かすかに残る痛みが僕の支えになってくれる。

実は、ネガティブでマイナスな感情、自己否定や完璧主義のような
黒いものにも良い面があります。

それは、自分の心と体を見つめて、
「こう言いたそうにしているなあ」と
考えるようになってから知ったのですが、

僕を守ろうとしていた」ということです。

黒い感情は、僕がこれ以上傷つかないように
人を避ける根源になっていたり、

恐怖や不安のセンサーとして
動いてくれたりするんですね。

痛みがあるから僕たちは、同じ失敗や後悔を
できる限り繰り返さずに済む。

だから、僕は黒い感情を
「お守り」としてゆるめて持っておくことにしました。

ここでは書ききれなかった記憶も含めて。

誰かを傷つけてしまったかもしれない記憶も。
自分で自分を罰し続けてきた記憶も。

成長するたびに思い起こされるように
これからも形を変えて何度も出てくると思う。

でも、消そうとしたら、過去の20年にもわたる
葛藤した日々も価値が薄れてしまうから、

過去の失敗や後悔は、向き合いながら、受け止め、
味方にして財産に変えて生きる。

これが僕が命を削って学んだことです。

苦しさから逃げ続けるだけだと
終わりは来ないと知ってしまった。

あなたが今、どんな状態かはわかりませんが、
もし変わる意志があるのなら、心に目を向けてみてください。

湧いてくる感情を否定せず、本心へ問いかけてみてください。

「本当は、自分が何を望んでいるのか?」
「どんな自分でありたいのか?」

振り返れば、僕の失敗や後悔の始まりは、
すべて愛や勇気の不足から来ていて、

些細なことから始まり、誰から言われたわけでもなく、
自分の心の中でだけで死ぬほど自分を裁いて、
20年も苦しんだけれど、

誰かを最初から傷つけようとしたものではなかった。

「愛したいし、愛されたい。」
「幸せにしたいし、幸せになりたい。」
「自分らしく生きる勇気が欲しい。」

そんな優しい気持ちや切なさから
始まったものだったんだと思ったら、

僕は自分のことを愛おしく思えるようになりました。

「精言家」としての活動と叶えたいビジョン

ここまで僕が話してきた苦労を
あなたには、絶対もうしてほしくない。

周りの人や環境、メディアの影響により、
ちょっとしたマイナスの言葉や
人を頼れないという気持ちが引き金になって、

それが20年もの人生を棒に振ることになってしまう。

現在、僕は「過去も財産になった」と思っているけれど、
もちろん、解釈はいろいろあって、

「お前は最低だ」と、ここまで読んでいて
思う人もいるかもしれない。

でも、僕は、現に何事もなく平穏に過ごしているし、
過去を隠して生きようとは思っていない。

すべてを出すことで、内に秘めた想いや重圧、
僕と同じような苦しいセルフイメージから
人生の暗さを抱え、

夜にうつむいて歩いているあなたに寄り添う
温かな光の言葉も大切にしていきたい。 

同じような苦しみはあっても、成功者の多くも隠して生きていたりする。
だから、僕にしか伝えられないことがあるんじゃないか?

そう考え、僕は、過去と向き合い、

自己否定、完璧主義、生きることへの罪悪感、
恥、自分に価値はないという無価値観、

罪人というセルフイメージを乗り越えた今、

「精言家(せいごんか)」という独自の肩書で走り始めている。

精言家。

それは簡単に言えば、精神と言葉のコーチ。

僕の言うコーチとは、ゴール(人生の目的)や
セルフイメージ(自分はどういう人かというイメージ)を自立上昇させ、

関わる人々が自発的に、高い次元のゴールを思い描けるようになり、

「自分は何者にでもなれる」という
強力なセルフイメージで生きるようになる
ための伴走者。

その考えと共に具体的には、

・脳科学や認知科学に基づいた特別なコーチング

(コーチング領域、コンサルティング領域、スピリチュアル領域を
統合して、心地よく生きていける自分になる「精神面」の土台を整えていく技術)

過去に縛られ続ける根本原因である思い込みや苦い記憶、
人生の設定をありのままに理解してゆるめて、

受け入れた方がいいものは、無理をせず受け入れ、
「過去も現在も未来も」愛して財産に変える。

・魂から自然と湧き上がる言葉の力(ライティング・言語化)

完璧じゃない僕だからこそ届けられる「等身大の言葉」で
あなたの想いに光を当てて、人生の重荷をほどいていく。

・唯一無二の実体験、人生そのものから形成された譲れないあり方

数々の知識・経験から生まれた僕にしか伝えられない話。

+その他、あなたのお悩みに合わせて
必要だと思ったスキル・ノウハウを活用します。

僕は、人生を変えたくて頑張り続けてきた人が
一息ついて落ち着き、

安心して完璧主義や自己否定の癖をゆるめ、
前へ進む力「想像力」を取り戻して、
想像したことを現実化していく力も育て、 

苦しかった過去も味方にして
「今を生きて、理想の未来へ向かう」サポートをしていく。

未来のビジョンでは、

① 一人ひとりが思考や行動の制限をゆるめ、
理想の未来を思い描き、叶えていく。

② 自分だけの成功だけでは満足しなくなり、
社会貢献・他者の成功も考えられるようになり、
心から伝えたい想いを発信するようになる。

③ その姿を見て、想いを受け取った人が
自分の未来を思い描き、叶え、発信していく。

このサイクルが無意識レベルで自然と回り続け、
想いが広がり、愛・勇気・豊かさの連鎖が起きて、

人々は「当たり前にある日常」を大切に生きるようになる。

僕の役割は、その流れを創り出す「始まりの存在=源」となり、
サイクルを加速させることだと考えています。

そのために、「自然体の精神と言葉」で想いを表現して、
あなたが自分の意志に正直な人生、唯一無二な生き方を
築いていくための「基盤づくり」を支えていきます。

僕の見ている到達点。

それは、行動・思考の制限をゆるめる
力強さを持った白銀(ホワイトシルバー)の光によって、

銀河系、宇宙空間、地球を含む周りの惑星が
「愛・勇気・豊かさ・平和の優しいエネルギー」で満ち溢れ、

あなたのいる場所も僕のいる場所も
「純粋に幸せで、より一層心地いい」
楽しい場所に変わっていく様子。

そんな想像をしながら活動しています。

「世界は、思ったより優しい!」とあなたが泣きながら笑える日まで

僕は、本気で幸せに生きてほしい。

特に実害がなく、法的に何かあったわけでもなく、
誰かに特別何かを言われたわけでもないあなたが、

自分で自分を罰し続けて、誰にも言えず、
苦しんでいるのは、あなたが優しいからです。

でも、もう十分悩んでこられたと思います。

もう自らを裁き続ける場所から
「自分の弱さに気づき、認めること」で抜け出していい。

僕もそうして今があるから、それが奇跡としか思えなくて、
恵まれているからこそ、あなたには前を向いてほしいのです。

諦めないでください。

ここまで読んで、もし心のどこかに
僕の想いが刺さっているのなら、

あなたは優しい人だと僕は思います。

その苦しみから、抜け出す方法はきっとあるから、
これから僕と見つけていきましょう。

僕は、自然体で言葉を紡いでいきます。

素直に想いを言葉にすると誓いました。

もちろん、人によって
いろんな考えや思考のフィルター、
スコトーマ(心理的盲点)と呼ばれるものがあって、

その場にあっても見えないものがある。

「赤いものは身の回りにありますか?」
と言われないと赤いものがわからないように。

どう頑張っても、僕のすべてを
伝えきれることはないのかもしれない。 

体も心も知識も経験も生きている場所も時間も、
すべて一致しない限り、

人のことを完全に理解することはできないかもしれない。

それでも、あなたの目で見えている情報だけでも、
あなたの心に火を灯せるようにしようと考えています。

そして、あなたや周りの人も変われば、
過去の僕も今の僕も未来の僕も、どんどん救われていきます。

文章を書くことも想いを伝えることも
自己受容であり、未来を創り出すということだからです。

この20年が無駄じゃなかったんだって、僕も思いたい。

だから、もしよかったら、
これからも情報を受け取ってください。

僕は本気で伝えます。

「世界は、思ったより優しいんだ!」って、泣きながらあなたが言えるように。

現実は、変えられる。

過去は、未来側の視点から考えれば、
解釈をし直すことができて、その意味を変えることができる。

そして、未来側の視点を持って今を生きれば、
過去を振り返った時に、すべてが僕を支えてくれる財産になっている。

自分よがりな面。ありのままに出来事を受け入れられる面。

弱さと強さの両方を持っているのが人間です。

最初は難しくても、自分のことを
「あの時は必死だった」と優しく認められる日が来る。

暗闇だけじゃない。

未来も、いい意味でまだ確定していない。
明るい未来にこれからしていける。

僕は、つらいだけの
過去の延長線上で生きていない。

過去は持ちながらも、昔を考えれば、
別人級の自分で「今」を生きています。

本名を出すことも過去や未来を見ることも怖かった僕が
今、何千文字、何万文字もの言葉を書いている。

あなたは一人じゃない。

どれだけ、人から何かを言われても。
あなた自身が「自分は汚れてしまった」と思っていても。

「僕はあなたの味方で居たい」と本気で思います。

あなたが現状を乗り越えて立ち上がっていったら、
その経験がまた人の支えになる。

それが、僕のやりたいこと、人生のゴール(人生の目的)である
愛・勇気・豊かさの連鎖を起こすことにもつながる。

だから、Win-Winなんです。

まずは、「僕のこれまでの歩み」を参考にしてください。

これから一緒に変わっていきましょう。

大丈夫。僕が変われたなら、あなたはもっと変われる。
そう確信しています。

顔が見えなくても、わかる。

僕は精神と言葉のコーチだから。
精神と言葉を扱う人間だから。

あなたと同じような経験を実体験としてしてきたから。

ここまで伝えてきた、本当の僕。

どう思ってくださっているかはわからないけれど、

響いているものが1つでもあったら、
伝わっていることが1つでもあったら幸いです。

それでは、最後までお読みいただき、
ありがとうございました。

これからもどうぞよろしくお願いいたします。

精言家 吉松裕記

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11歳から20年間にわたり抱えていた
自己否定、完璧主義、生きることへの罪悪感、
恥、「自分には価値がない」という無価値観。

 

親や周りの人の期待、与えてくれた無償の愛に
応えられなかったと自分を責め続ける
子どもの頃に背負った重たいセルフイメージ。

 

これらを乗り越えてきた方法を実体験と共にお伝えしていきます。

 

「世界は、思ったより優しい!」

そう嬉し涙を流しながら笑って
心から、いつものごはんを「美味しい!」と感じたいあなたへ

 

自然体の精神と言葉の力で自分の望む生き方をを創造し、
「過去も現在も未来も」愛して財産に変えて、今を生きる。

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